2025/02/16

雨が降ると、紀美(きみ)はいつも早起きする。決まって五時ちょうど、まだ空が蒼く沈んだままの時間。彼女の住む木造のアパート、名もない長屋の二階からは、濡れた路地を音もなく流れる小川のような雨音が聞こえる。
お湯を沸かし、珈琲豆を手で挽く時間が、紀美にとっては祈りにも似ていた。カリカリ、ザリザリと豆が砕ける音。流れるような手つきでフィルターをセットし、湯を細く落としていく。カップに湯気が満ちるころ、ようやく一日の輪郭が立ちあがる。
彼女は30代半ば。観光地から少し離れた小さな出版事務所で編集の仕事をしている。紙の手触りを愛し、デジタルでも処理できる作業をわざと手でやる癖が抜けない。職場の誰もが使うAI校正ツールを、彼女だけは「目がきかなくなるから」と言って避けた。
雨が止んだ昼前、紀美は鞄に折りたたみ傘と文庫本を入れて、いつもより一本遅いバスに乗った。車内には観光客と、地元の高校生が混在している。手にした文庫本は、川端康成の『古都』だった。
「この町は、歩くだけで心が整う気がする」
そんな風に思うこと自体が、紀美にとっては生きている実感だった。大切なのは、劇的な出来事ではない。誰かとすれ違い、花屋の軒先に季節の花が並ぶのを目にし、小さな菓子屋で豆大福をひとつ買うような、ささやかな選択と積み重ねが、彼女の人生そのものだった。
その日、仕事帰りの空に淡い虹がかかっていた。鴨川沿いに自転車で帰る途中、子どもたちが指差して笑っていた。ふいに、紀美もそれに気づき、思わずペダルを止めた。
「こんな景色を、誰かと分かち合えたらな」
ぽつりと独りごちた声は、自分でも驚くくらい素直だった。
アパートに戻ると、机の上に古い手紙が置いてある。数年前、別れた恋人からのものだった。読み返す気にはなれない。でも、その存在がそこにあるという事実だけで、今の自分に何かを与えているように思えた。
明日の天気は晴れだという。干しておいたワンピースを着て、少し遠くの喫茶店まで歩いてみようか。紀美は、読みかけの文庫本に栞を挟み、静かに明かりを落とした。🌿📚✨